立食パーティー

平田オリザさんの「演劇入門」で、会話には「知らない人と交わすdialogue」と「知っている人と交わすconversation」の違いがあるという。
Longmanによる定義を調べてみました。
dialogue noun
1 a conversation in a book, play, or film:
American English a boring movie full of bad dialog
British English Students were asked to read simple dialogues out loud.
2 formal a discussion between two groups, countries etc
dialogue between/with
British English There is a need for constructive dialogue between leaders.
conversation
an informal talk in which people exchange news, feelings, and thoughts
英語も必ずしも明確にこれらを区別しているわけではなさそうですね。conversationの方が広い概念で、非公式なもの。dialogueはconversationの文学作品中などにあるもの、あるいは二者間(二国間)の公式なもの、という感じでしょうか。
とりあえず平田さんの定義に従うとして、日本人は同質な民族による国家なのでその内部では"dialogue"がほぼ必要ないといいます。だから"dialogue"が苦手だとも。
どなたの話だったか、満州育ちのおばあさんが、日本に帰国してから夜も戸や窓を開けっぱなしにして寝ているので、「泥棒が入ったらどうするんだ?」といったら「泥棒ったって、日本人じゃろ?」と返されたという話を思い出します。
おそらくこのあと「日本人なら話せばわかる」と続くのではないかと思うのですが、それくらい日本国内は「内輪」で、"dialogue"が不要であるということなのだろうと思います。
平田さんはさらに日本の「オジサン」たちの公式なパーティーでのぎごちなさを挙げます。つぎつぎ初対面の人と名刺交換をしても話が広がらない。共通の話題といえば野球くらいで、日本のプロ野球が隆盛で、巨人と阪神の人気があるのも、見知らぬ同士の話題として格好だからではないか。野茂投手が話題になったのも、アメリカ人との始めての共通の話題だからではないか、と続けられるのですが、そういう面も確かにあるでしょう。
ただ、ここではやや違和感があります。同質な社会なのでほとんど"dialogue"が要らないのなら、初対面の人とも"conversation"をしてしまえばいいのではないか。
ここで、清水義範さんの名古屋人のコミュニケーションの話を思い出します。「プライバシーは大事ですな」という話にすぐ続けて「で、おたくでは週に何回ぐらい奥さんをかわいがりゃあすの?」と聞くという。これはネタだと思いますが(思いたいですが)。
いい大人が集まるパーティーなのだから、共通の話題はいくらもあるはずです。政治、経済、国際情勢、事業環境。みんな日経新聞は読んでるんですから、その手の話には関心もあるだろうし、意見も持っているだろう。ところがどういうわけか、「政治の話と宗教の話はパーティーではご法度」みたいなことがいわれるのですよね。
政治的な立場、ものの考え方、支持政党、信教、経済的利害、もちろんそれらは人それぞれで、利害対立もあるでしょうし、信条の対立もあるでしょう。しかし、それ以外に話し合って意味のあることがあるのだろうか。
むしろ、例えば、あなたはリベラルだが私は保守だ、ということを明確にしてそれをわかっていながらの意見交換ができない、すぐ感情的になったり、喧嘩になってしまう、というのが本当の理由なのではないでしょうか。
確かに当たり障りのない話題、気まずさを紛らわせるための話題というのは必要です。ここのところ暑いですな、今日はどうも降りそうですね、というのは誰にも責任がありませんから、そういう話題として今も昔も使われています。とりあえず時候の挨拶。
イギリス人はこれを高度に洗練されたものにしていって、今年の夏は1986年の夏に似ていますな、とかいやむしろ2005年の7月にそっくりだとか、細かい話をするようですが(で、相手がそういったら絶対反対してはいけないという)、これもネタじゃないかと思います。
「読書メーター」にも書きましたが、アメリカ人が異様にニコニコと握手を求めてきて話したがるのは、「おれはお前の敵ではないぞ」ということを明確にしないと命が危ないから、あるいはそういう時代があったことの名残と思われます。
いずれにせよ、パーティーでは「実のある話」を出来ない、してはいけない、のであれば、そこにいるだけ時間の無駄でありますので、用件だけ済ませて、あるいは主賓に挨拶をして「来たぞ」ということを印象付けて、あとはさっさと消えることにしております。
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仕事はそっちのけで海外でゴルフのしたい役員さんたち=舛添か!

文字通り吐き気がする。

(前回までのお話し)次回の当社の取締役会はサンフランシスコのぺブルビーチでゴルフをやりたい両親会社、日本側と英国側の取締役たちによって、サンフランシスコで開催されることになりました。(/前回までのお話し)

当社の取締役会は年に4回あって、

1月 日本側親会社主催 場所:東京 ゴルフつき
3月 当社主催 東京で電話会議  ゴルフなし
7月 英国側親会社主催 主にイギリス ゴルフつき
11月 当社主催 東京で電話会議 ゴルフなし 
というのが慣例である。

何と言っても参加者が一人ロンドン在住なのを除いて全員東京に住んでいるので、東京でやるのが一番簡単で楽なのだ。
あとで聞いた話だが、今年の1月に、英国の取締役と日本のO専務の間で、英国側親会社がホスト役となる、2016年7月(今回)の当社取締役会はアメリカはボストンでやろうということで盛り上がっていたらしい。
しかし、国内事業しかない当社の取締役会を両親会社のいずれも関係のないボストンでやる必然性がないし、ホストになる英国親会社の日本にいる事務方も日本からボストンでの交通・宿泊手配なんぞさせられたらたまったものじゃないので、私が一番安くつく日本でやったらと水を向けたところみんな即座に乗ってきて、結局日本でということになったのですよ。

ところがその事情を日本側親会社の事務局が、肝心のボストンにご執心だったO専務に伝えてなかったのですな。2016年3月の取締役会(これは当社主催、東京で電話会議)で、O専務は英国側親会社(ホスト側)の取締役に、なぜ7月の取締役会は英国側主催なのにボストンではなく、東京なのかと相当食い下がっていたらしい。みっともない。

そういうこともあって、先週末の取締役会後の懇親会も終わりに近いころ「次回11月はサンフランシスコで取締役会だ!」という声が聞こえたので、私、当社の金庫番(経理担当役員)としては、当社主催の時にそんな散財はできないので、なぜですかと聞いたところ、自分がここではもっとも権力者だと勘違いしているO専務が「行きたいからだよ」と答えたのですよ。

「行きたいからといわれてもそんな理由で何千万円も使えませんよ。あんまり無理なことをおっしゃるのであれば、当社の事務局は行く人数を絞らざるを得ません」といいました。あんまり親会社をつけあがらせるとろくなことないですからね。

これはあとから聞いた話ですが、O専務は帰り際に、私の部下に向かって「君、サンフランシスコには来られないみたいだねえ」といったらしい。私の部下も心得ているので「そのようです」とだけお答えしたとのことであった。ようするに「しみったれの」私に対するあてこすりなのである。

あとから日本側親会社の事務方をやっているU氏がやってきて「困りますよ、あんなにO専務の気に障るようなこといってもらったら」というので、聞いてみたら上のような次第だったらしい。

驚くのは、懇親会中「ペブルビーチで」という言葉が出た途端、これも日本側親会社の当社の取締役であるM執行役員が、すぐに携帯電話をもって廊下に出て、本社で待機している部下に11月のぺブルビーチ・ゴルフクラブの予約を取らせていたらしいこと。仕事をするんだかゴルフがしたいんだか本末も転倒しまくってます。

「銀行は裸の王様である」-銀行は明らかにモラルハザードに陥って久しいのに

「銀行は裸の王様である」という分厚い翻訳本を読み始めて、まだ途中なんだけど、要するに銀行の自己資本比率が異様に低いと。普通の会社なら30%とか50%、中にはアップルみたいに100%近いところもあるけれど、銀行は4%前後とか言ってるものね。BIS規制で海外業務を扱うのに8%とか。これはいくらなんでもめちゃめちゃ低い。もちろん経営の安定性も低い。
しかし、銀行の経営陣にしてみればこれが当然合理的なわけですよ。なにしろ、自己資本比率なんて関係なくバンバン借入(預金)を集めてレバレッジを効かせればその分儲かる。
万が一、損をして危なくなっても政府が資本注入して助けてくれるのがわかっているから、当然自己資本比率をキープするなどというインセンティブは働かず、どんどん預金を集めて貸し出すということになる。
わかりきったモラルハザードです。ダメダメだけど、世の中たいていのことはダメダメなんだからしょうがない。
まだ最後まで読んでないけど、おそらくこの本は丸々一冊かけて、銀行も自己資本を充実させるべきだ、それを嫌がる銀行の主張はすべてまやかしだ、といいたいのだと思う。
こんなことを説明するのにハードカバーが丸々一冊必要とは。愕然といたしますです。
銀行関係の方がおられたらいいたい。「いい加減にしなさい」

2011年、消費税上げを断行した野田政権は間違っていない

日本国債の話。

2011年というのは、3.11大震災の影響で日本全国を暗い影が覆っていた。どういうわけか円が非常に高く、輸出産業は輪をかけて業績が苦しかった。「アラブの春」という政治的な不安定と、欧州での金融不安が広がっていた。

このような状況下で、日本国債の残高は急増して790兆円になり、GDPの150%を超えた。ここで消費税の増税が国会に上程され、議論された。この前後にヘッジファンドの日本国債売り浴びせの試みが何度もあった。「2008年問題」は乗り切ったものの、日本国債は常に盤石のものとして信用されていたわけではない。

実際、消費税上げが決まったあとも、2014年の8%への増税の前には金融市場ではいろいろな動きがあり、市場関係者は過敏になった。市場はファンダメンタルズもさることながら心理的要因でいとも容易に決壊する。2008年のリーマンショックを経験済みであった。

「2013年4月5日、東京証券取引所は国債先物相場が急落したことを受けて取引を一時的に停止する『サーキットブレーカー制度』を発動、サーキットブレーカーの発動は2008年10月14日以来となった。

2014年4月14日、債券市場で、長期金利の指標となる新発10年物国債の取引が成立しなかった。1日を通して取引が成立しなかったのは、2000年(平成12年)12月26日以来約13年ぶりとなった。」(Wikipedea より引用)

2011年の暮に戻ると、そのような環境下で消費増税が議論されて、これが成り立たなかったとすると、日本国債は危なかった。ひいては日本経済全体が危なかったといえる。そこで消費税上げの少なくとも約束を取り付けたことは当時の野田政権の得点だと思う。財務省の思惑は常にあるだろうが、2011年当時はこれは避けられない決断だということが与野党ともにわかっていたと思う。

団塊の世代が全部もってっちゃった感がある

日本人の正社員、特に年配の人間の給料はマクロにみれば日本経済の実力に比して高すぎるのだろうな。円安で多少は実質の給与は下がったんだろうけど、それでもまだ高い。

企業としたら、年功序列はやめたいと考えて成果主義を取り入れたりしたんだろうが、結局うまく行かず、中途半端に終わっている。だからといって正社員の給料を一律に下げるのはしんどいからできない。

労務費を抑えたい企業としては、リクルートを絞るしかなくなったんだね。だから、若い人を中心に就職難になった。正社員で雇ってもらえない人はとりあえず、派遣とかアルバイトでつなぐことになる。

結局のところ企業は、賃金格差をつけて、安いコストで雇える派遣やアルバイトを使って、トータルで人件費を節約したことになっているのだろう。

これから高給取りの団塊の世代が卒業し、どんどん派遣やアルバイトが増えていって、そのうち全員が非正規雇用になって、日本人の人件費は実力に見合うところまで下がって、ほぼほぼ平等ってことになるんだろう。時間をかけて賃金を下げる上手いやり方だったのかもしれない。
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xi_124C41

Author:xi_124C41
30年以上勤めた会社を退職しました。まだ楽隠居とはいきませんけど、そろそろ終活に入ります。遺言のつもりでブログは書きついで行きます。更新がなくなったら察してください。

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